wshで全角変換

かなり特殊要件でしか使わないであろうスクリプトを wsh (JScript)で組んでみた。半角カナ英数記号を全角に置換します。
ネイティブWindowsで使えるのがややいいところ。
※全部半角変換もできたので再度うp
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強い相対主義

掲示板で変に冷めてて上から見たような一言をもらった時用コピペ。


人それぞれだと思います。

うわー、理解できん!

この言葉の意味はなんだ? 矛盾してるよね? どんな結論をも導けますよね?
自分の意見を他者に公表する手段であるところの掲示板で、意見表明という行為を否定するこの投稿の意図は?
コミュニケーションの無意味性を信じて全世界の掲示板およびメーリングリストの根絶をはかる情報テロリストですか?
断絶され孤立した自己が互いにつながることなく一つ一つの殻の中で完結し他者にその中身をさらすことのない静的な世界を目指していますか?
あらゆる主義主張は相対化され存在しうるすべての意見が同等の価値をもつゆえにタイプライターを打つ千万匹の猿の千万行の言葉すべてが同等でありいかなる言明もホワイトノイズの彼方に埋没して語ることに意味の失われた強い相対主義ですか?
人様に聞いてもらうほどの考えはないけれど投稿はできるよという、外部メッセージのみを有する情報ですか?
私はその問題について語るべき意見をもたないがそれでもなおかつここに存在しているという自己存在の外世界に対する表明ですか?

まあ、わかってんだけどね。ふ。つまり私はあなたの意見に納得できません、ということでござろう? あなたの議論はどうも面白くありませんな、ということであらせられよう?



作ってみろ。

 なんですかそれは!
 意見の数だけ作品が必要ですか? 作品とそれを語る言葉が同列にされますか? 作品とそれを語る言葉は同じ形式をもたなければなりませんか? 全ての評論は地に落ちますか? 読書感想文はありえず、創作のみが存在できますか? ニフティの会議室はすべて一定水準以上の作品の制作に関わった人間だけが審議のうえ参加する権利を与えられるパティオとなり会員数は4桁落ちますか? 作品Aを語る資格を得るためにつくった作品Bを語る資格を得るためにつくった作品Cを語る資格を得るためにつくった……作品n(n→無限)によって無数の作品を生み出しその分野をすたれることのない永久作品産出機関と化しますか?
 ま、わかってるんですよ。ええ。そんなに語るエネルギーがあったら、それを作るエネルギーにまわして、作品を一つ作ってくれた方が面白いかもしれない。とおっしゃりたい。それは、同意します。特に感情に任せた悪口ってのは今一つ毒になって薬にならない傾向がありますから、それなら感情を作るエネルギーに変換してアンチテーゼ的作品を見せてもらった方が盛り上がる。
 でもやっぱり、そうならそうと具体的に指摘してもらわないと。
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あーもう

CSSをいじりたいのだが集中力が続かない。字の色ももうちょっと読みやすいのを選択したい。

てか fixed width なサイトは忌むべきものとしているのにこのサイトがそうじゃないか。まったく。
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固定長→可変長

先日Web2.0なんてハイカラなことを書いたばかりだけど、急に固定長マインドと可変長マインドの間のギャップ、なんて古い話が気になっている。

固定長、を日常意識することは少ないんだけど、例えば何かの申込書での氏名入力欄や電話番号入力欄(ていうか電話番号)は、字数制限のあるデータの代表例だ。こういうのは保存されるときに「たかだか固定的な長さ以内」と制限されるため、容量や処理性能の把握が楽だ、というコンピュータ視点でのラクさがある。

そして多くのシステム屋は固定長でデータができることをよしとする。
が、これはコンピュータの処理能力が低かった頃の名残と、COBOL時代の癖でしかないと僕は考えている。

(現在でも、コンピュータにとっては、stream のポインタを固定長だけ移動させるのと、終了条件に辿り着くまで文字コードを見ながらポインタを移動させるのでは、前者が圧倒的に速いのは事実だ。だから多くのDBはデータの項目ごとに最大長を指定する)

このため、氏名は固定長でいいの? とか、電話番号は固定的なのが望ましいの? という議論がなされることは少なく、本来は可変長なほうが自然なのに、固定長を押し付けられる場合が多いことに、ギャップを感じるのだ。

例えばドメイン名やURLはどうだろう。厳密には最大文字数はあるけど、これが固定幅だと意識することは少ない。だからこそ、こんだけバリエーションのあるドメインやコンテンツが存在し、日々増殖しているのだ。そしてパスワードは通常可変長だ。(たまに固定長を要求するアホなのもあるけど)blogのエントリも可変長だ。人間が表現できる事象は可変長のほうが多いのだ。

が、固定長マインドというのは根強く、たとえばおおよそ全てのコンパイラにとって、変数名や関数名は可変長なのに、未だに関数名や変数名を固定幅で設計する人は実際いる。

ということで、DB屋は「本当に固定長が望ましいのか」という視点でデータを設計して欲しいし、可変長が許されている環境なのに、固定長にしようとしていないか、という振り返りをして欲しいなーと思うのだ。
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Web2.0概観

なにやらホットなキーワードであるWeb2.0についていろいろ読んでみた。わかりやすいのはこちらかなー。まだ定義されてるものではなく、理念としてどうだろう? とみんなで揉んでいる状態。訳文が 1 and 2。にあります。なるほど。

いろいろ整ったとして、利用イメージは例えばこんなだろうか。

  • ある人がコンテンツを示します。(日記でも言説でもニュースでもイベント告知でもおもろいURLでもamazonの商品でもヤフオクの品でも地図のポイントでもはてなキーワードでもWikipediaのエントリでも動画でも写真でもなんでもよい)

  • ただし、それらのコンテンツはコンテンツの文脈に沿ったフォーマットで、しかるべきメタデータが付与された、オリジンがはっきりした形で開示されます

  • 開示範囲はSNSのように閉じてもいいし、blogのように誰にでもOKでもいい

  • そのコンテンツはRSSブラウザで取得されるかもしれないし、SNS内で取得できるかもしれない。いずれにしても、フォーマットは一緒だ

  • それについてディスカッションするにしても、限られた人だけでもいいし、オープンでもいい

  • その情報は、自分のスケジュールに取り込んでもいいし、メールに添付してもいいし、自分のサイトで公開してもいい
  • 要するに自由だ


blogの世界は、trackbackによって、blogのエントリ間では「何について言及してるか」を明示すること、そして「誰に言及されているか」を明示することが可能になった。一方で、Web2.0ではblogのエントリに限らず、あらゆる情報は情報そのものが内包するメタデータを保持して流通し、利用者の好きなように使われていくのだろう。そして利用されるタイミングでtrackbackのように情報の発信者へ還元される、というのをイメージした。

さてこうなってくると、サービスの提供側はどうするかだ。

Web1.0はソフトウェア、Web2.0はサービスが価値というのは真だろう。この場合は、サービスの品質が価値なのだけど、情報の単位が小さく、パーソナルなものになっていくと、情報の信頼度も、同じく価値になっていくのではないだろうか。

情報の発信元として信頼できる人、を知る人はそれでいいのだけど、そうでない環境の人は情報の信頼度を保証するサービス、にオカネを払う、というものだ。現存のインターネットプロバイダ、サービスプロバイダの皆さんは、保有している名簿の利用法として信頼度という付加価値をどうやってつけるか、という視点を持ってもいいと思う。

そしてWeb2.0の活性化には、個人個人が、単なるツール利用者としてだけではなく、自分の情報はオープンにするマインド、オープンな情報、コンテンツを顕著かつ(嘘かもしれないという)リテラシを持って望むこと、が必要とされると思った。
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買わされないための仕組み

IIJに商用のインターネット利用が解放されて14年、blogが国内認知を得て4年くらい、で、気付けばネットの上には法人や個人による「買わせるための仕組み」がいっぱいな訳です。アフィリエイト狙いのサイト、広告宣伝費で動いているサイトの是非を問う、なんてことはしませんが、「買わせるための仕組み」ばかり先行して研究されまくってノウハウがどっかで秘密になっててウハウハになってる人がいる一方で、「買わないための仕組み」や、「買わされないための仕組み」についてはあまり研究されていません。

が、個人所得には限界値があるので、欲しがらせられまくって買いまくっていられる訳にもいきません。日々、上岡龍太郎には騙されないゾ! と眉唾で動いている私などは、できるだけ浅ましいアフィリエイトを踏まないようにしつつ、対価に納得するものにはお支払いする、という態度で(財布に)向き合ってるのですが、この、納得できる対価であるのかどうか、について、インターネットをどう利用するのが賢いのか、を研究してみたいもんすね。インスパイヤがどうとかで不買運動、なんてのだけが賢いインターネットじゃないもんね。

いや、コンビニ弁当も喰いますけどね。流通万歳。
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ありあけーっ!!

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何があったかわからないが、animaxチャンネルで空手バカ一代のアニメを放映し始めてくれた。1973年の放映だ。生まれ年じゃないか。

娯楽のフレームのほとんどを梶原一騎に構成された世代としては見ない訳にはいかず、毎晩楽しみにHDDに保存しつつ飛鳥拳 vs GI、飛鳥拳 vs 池袋ヤクザ、飛鳥拳 vs 正統派空手、飛鳥拳 vs 闘牛、飛鳥拳 vs 柔道、飛鳥拳 vs 熊(未遂)、飛鳥拳 vs …を楽しんでいる。全く「溜め」のないカット割、ガタつく作画、抑揚のない声など、現代アニメ文法の基準からしたら厳しいものもあるけど、「漢滾らせクリシェ」の原点だなあと新たに感心する点も多い。

10年くらい上の社の先輩と話してても、「野球、プロレス、空手、キック、ボクシング、同棲と、この世代の野郎の娯楽は全て梶原一騎が作った」という事実に改めて驚く。てことで、animax が見られる環境の人は平日毎晩24:00の空手バカ一代を見よう。
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構造はあとから追いかける

Webアプリケーションにしても、デスクトップアプリケーションにしても、最近はフレームワークという名のもとで開発することが多くなっている。フレームワークという単語自体は別に新しいものではなく、枠組み、とか手順、とか指針、とかと言い換えてもよくて、先人の智慧としてそこいらじゅうにある。物事を整理するための考え方をフレームワークと言ったりもする。

では、アプリケーション開発におけるフレームワークとは何だろうか。それはどうやってできて、何をもたらして、人をどう導くのだろう、みたいなことについて考えてみた。

アプリケーション開発におけるフレームワークとは何か、は人によってまちまちだけど、大まかには、開発ツール、開発手法のドキュメント、共通ライブラリ、コード自動生成ツール、のひとつ以上を含み、とにかく(エディタとコンパイラしかありませ〜ん)てな環境よりも品質の底上げと開発生産性に貢献するものはフレームワークと呼ばれるようだ。そういう意味では、XCode や VisualStudio も立派なフレームワークだ。

ここで、Webの世界だとRuby on Rails(←これは面白そうだ!)やStrutsとJ2EE、.NET Framework などは汎用のフレームワークとして大層活躍しまくっている。ColdFusionやWebObjectsだって現役の Webアプリケーション用フレームワークだけど、これら最近登場のフレームワークは、開発の分業を容易にする点が特徴だろう。オメーとオラとはこのインタフェースを介するからオメーさんはそれだけ意識してね、これ引き継いでね、てなオブジェクト指向のなせる技だ。
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W-ZERO3が欲しすぎる

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SHARP & WILLCOM W-ZERO3(通称ザウぽん(でもザウルスではない))は久しぶりに統合感の高いモバイルプロダクツ。

スマートフォンという概念が忘れ去られて or 実は大して便利でねーんでねーノ? という風潮に押されて国内から姿を消してから何年か経つことに寂しさを覚え、かといって最新の携帯電話をメモ代わり、スケジュール帳代わりにすることにいまいち馴染めず、リナザウや DoCoMo の M1000 を睨みつつ黙って Palm m505 を使い続け、そして無線LANルータを使ってるのに無線LAN端末を失っている俺としては寝て使えて持ち歩いて使えて PDA にもなって PC と Sync できてフルブラウザで Windows Mobile でわーーーー! な統合感いっぱいなプロダクツなのだ。

しかしWILLCOMの意欲的な開発ラッシュには正直驚いた。この発表の少し前、W-SIM(WILLCOM SIM)対応の端末を数種発表し、単なる音声端末だけの進化じゃねーぞ! とサプライズを与えてくれたばかりで、今度はスマートフォン。ああ、DDI-Pの頃から信じててよかった。味ぽん、京ぽんと乗り換えて来たここ数年、こんなに選択肢ができるとは夢にも思わなかったよ。

さーあとは12月発売というその日までキャッシュを貯めておくことか。

いろいろまとまったサイト
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