コントラスト補完

東京に住んで9年になろうとしています。23区外の平均的な郊外住宅地生活も経験したし、高層ビル街に見下ろされてるような場所での生活も経験した。とにかくショップとネットのおかげで音楽ソフトウェアの調達に関する地方的な障壁はなくなったので、いろんな人の嗜好を純粋に体験してみたくて、いろんな場所でいろんな音楽を聴いた。聴くための手段はCDウォークマンからiPodへと変化したけど、移動中に、移動先で、歩きながら、電車に乗りながら、自転車こぎながら聴くという場面はあまり変わらない。音楽が風景に溶け込んで、情景を豊かにしてくれる組み合わせと、音楽が心象に溶け込んで、感情をコントロールしてしまうような組み合わせを探しているのかもしれない。
続きを読む>>
misc | - | trackbacks (0)

ウラシマ感

この夏、盛岡の実家に帰省した。年に二度以上は帰っているからそんなにウラシマ感はないはずだけど、それは自分ち周辺(郊外)だけに限定されていたもので、中心街の変化は今回初めて意識したと思う。

盛岡の中心街は盛岡駅を東端として中央通り、大通りといった名称の通りを中心に展開され、かつての城下町だった菜園、肴町といった町を西端としている。巨大商業施設は古くからある地元密着デパートのほかいくつかあるけど、基本は各々の通り別に専門店街が機能していたはずだ。

そこから15年経った。さあ空洞化だ。シャッター商店街だ。専門店街は見る影もなく、街に人が歩いていない。時計、鞄、靴などの老舗は廃墟同然かダイソーになっている。ちょっと前ならプリクラショップだったかもしれない。文化牽引の原動力たる大型書店も4つのうち2つが姿を消した。図書館も中心街から新興(させたがっている)駅そばに移動した。そして消費者はクルマでアクセスできる郊外のショッピングモールで、誰もが均質的な消費を行っている。
続きを読む>>
misc | comments (0) | trackbacks (0)

Plastic Cafe 2001

その昔今は休止中のタオレコに寄せた文書。はせがわさんにリクエストされたのだけど、ローカルに保存がなかったので webarchive を探して掘り当てて来ました。
続きを読む>>
misc | - | -

人間が管理職になっていく様

アイテー業界でのキャリアの積み方については侃々諤々と論じられてますが、「どこが労働集約的か」すら固定的ではなく、高速にシフトする中ではそれもしょうがあるめえなと思いながら、こんな対比を考えた。

ギター小僧の出世道:

ギター小僧
 ↓
バンマス(もちろんギターは弾ける)
 ↓
レーベルオーナー/プロデューサー(バンドもやってる)
 ↓
イベントオーガナイザー(その昔バンドやってなあ)

すなわち、ギタースキルを持ちながら、バンドを牽引する役割をこなし、後に自分のバンドも含めて複数のバンドをプロモーションするような役割になっていくとともに、最終的にはドカンとデカいイベントやっちゃう、というひとつのキャリアモデルがある。(イベントオーガナイズは、たどりがちな道ではないかもしれない)

同様に、
なんらかのプロフェッショナルスキルのある人がプロジェクトマネージャになるまで:

 職人
 ↓
複数の職人からなる開発チームのリーダー
 ↓
複数の開発チームをオーケストレーションするリーダー
=プロマネ
 ↓
複数のプロマネを率いる事業部の長(もしくは社長)

ここでは、どの職人か、プログラマか意匠デザイナーか内部デザイナーか、は問わない。それは専門領域の差であってキャリアとは独立していると考えている。

いずれにしても管理職=管理する職という、文字通りの管理側面ばかりがネガティブに捉えられて、「管理なんてされてたまるかコンニャロ」などと若人には思われがちだけど、管理職っつっても、例えれば「自分のバンドを牽引するバンマス」、「自分のバンドの付加価値をあげてくれるレーベルオーナー」と似たもんだな、と例えるとそうも思わなくなる。

それに、実際やることは同じようなもんだ。
misc | - | -

みんなフィルムでも写真撮ろうぜ

京セラがCONTAX事業から撤退しNikonが縮小しコニカミノルタが撤退しブロニカの中判事業も終了し、フィルムカメラは市場からもデジタルに取って代わられた。これはもう観測的には事実だろう。キヤノンさんはまだ発表してないけど今後市場を独占だぜ! と見るか、やっぱ縮小しよーと思うか。

時代の変化なのは認めます。特にフィルムカメラ業界にもうそんなに$も落としていない一消費者として、変化を受け入れなければいけないことも意識しています。でも、ファインダーで対象を狙い、画角を決め、露出に応じて絞りとシャッター速度を選び、シャッターを押すことでミラーが跳ね上がり、シャッター幕が開き、絞りを経由して装填されたフィルムに像が入り込むことで、フィルム表面でRGBの感光色素のおのおのの層に吹き付けられた臭化銀が還元されることで銀となり、補色が生成され、シャッターが閉じ、フィルムを巻き上げて完了する一連の撮影プロセス。そしてフィルムを現像に出すまで出来がわからず、数時間~数日待ってやっと見る時の緊張感。これが撮影という儀式だろうと思うのですよ。それがAEでテキトーに、もしくは固定的に決められた露出で、荷電結合素子(CCD)に光が入り込み、個々のフォトダイオードから光電効果で電荷が取り出され、その電荷を増幅して数値化した後にメモリに保存し、このあと数瞬でノイズを除去してCFカードにファイル名を添付して保存し、カメラ内のOSを操作して…えーとはしょってTFT液晶なんかでプレビューしちゃえたりしていらなかったら捨てちゃうなんてデジカメのプロセスに置換されるのはちょっと無理があるのですよてか全然別ですよ! お子さまに説明できませんよ! お子さまにとって「撮影のポーズ」といったら最近じゃケータイを縦に構えた写メポーズになっちゃうくらいですよ!(ここまで一息。てか撮影の原理ってこまっかく話そうとすると深いな…)

…ハァハァ。

そうか、どうも俺は漢の買い物のひとつであるフィルムカメラが減ってしまうことが哀しいのかもしれない。

(ほか、漢の買い物の例:自転車、自作PC、楽器、スポーツカー、アウトドア製品、モデルガン、時計など、ぜったいヨメに怒られそうなガジェット類。つうか MONO MAGAZINE 的買い物)
misc | - | -

無理な比喩という試み

リピーター、ハブ、スイッチ(ブリッジ)、ルータ、L3スイッチ、なんてなネットワーク装置(とりあえずアライドテレシスの講座を)については、人間の活動に例えて覚えることにしているのだけど、通信を成立させるこれら装置は、集団活動における振る舞いでのメタファーが可能ではないかしら、と考えてみる。

リピーターは基本的には文字通りただ信号をリピートするだけなので、「○○さんがこう言ってたヨ」てな伝聞上手なのだろう。ただし、歪んでしまった信号を整形したり、コリジョンを防止したりする機能もあるため、たとえばまとめサイトを編集するような行為、あるスレから面白いところを抜粋する行為はリピーター的と言える。

ハブはリピーターを集結させたようなものだ。発信側の信号をさらに同時大人数にリピートする。あるハコでのライブかもしれない。ハブは多段化もできるため、複数のバンドが出現するようなイベントは多段ハブ的だ。

これに対し、ブリッジは LAN 同士を接続するものなので、セグメントまたぎを可能にする。
例えばわかりやすいところでマイミク、というセグメントがある。マイミクのマイミク、又ミクの関係にある人物と自分はさしずめブリッジとしての位置にいるが、ブリッジとして機能しているかは別問題だ。その人がパーティを主催して、又ミクをマイミク化させれば、ブリッジとして機能していることになる。利用言語、という観点でのセグメントであれば、通訳者がブリッジだろう(同時にプロトコル変換も必要となる場合が多いが)。

オタ vs サブカルな話題が去年あったように、これもセグメントのいい例だ。ブリッジになれる位置にいる人はいるはずなのだが、ブリッジしないほうがいいだろう、的なムードになってる気がするが、ユリイカがそのブリッジを果たそうとしてみたのかもしれない。

そうだ、あるセグメントとセグメントの喧嘩をヲチするのはポートミラーリングしてトラフィックを監視するようなものかな。とすると、ユリイカはポートミラーリング行為を増産したとも言える。

ルータはスイッチをさらに広域対応にしたようなものだ。そう考えると mixi 自体がある意味ルータだが、コミュニティ、という機能は VLAN 的だ。ちなみに NAT は複アカだ。

L3 スイッチはルータ行為をハードウェアで行い、かつスイッチでもあるのでもうちょっと偉い(そして高い)が、イーサの口しか持ってないので別のネットワークでは使えない。ある程度の規模と範囲に限って高パフォーマンスなブリッジとルーティングを行う人、みたいなものか。

こんなふうに信号を受け取る側の個々人のお話もプロトコルスタックに照らして考えると面白そうだけどこれはまた今度。
misc | - | -

論理整理と物理整理


  • 部屋が汚い。てか物が多い。

  • (PCの)デスクトップやファイルツリーが汚い。てかアイコンが多い。


こういう、整理のできてない状態はあまり望ましくない訳ですが、自分の場合、後者のデスクトップやファイルツリーの最適化ならノリノリで行うことができます。これを論理整理と呼ぶことにしよう。

一方の部屋の整理整頓、物理整理はどうにも気が乗らない。これは昔からの性分でもあるけど、なんで論理整理はニコニコしながらやるのに、物理整理はイヤなのかを考えてみることにします。一度論理整理と比較して、論理整理ではよくつかう手段をどうやって物理整理に応用するか、これを考えてみるのです。


圧縮を効かす

布団なら有名な装置で圧縮できる。CDも、プラケースを外して圧縮できるな。書籍はムリだ。
そして伸張するにも天日干しとかしないといけなくて、面倒だ。


index をつけてみる

たとえばある引き出しの中身、について index を作ることはできるけど、出し入れしてもそのメモが自動更新されない。
検索もできない。

アクセシビリティを損なわないようにする

普段は触らないようなファイルは圧縮して「その他」みたいなフォルダに置いておくとしても、一覧性は損なわれても、アクセスしやすさはそんなに変化がない。が、物理世界では奥の方にしまってしまうと、取り出しやすいようにしておくのは難しい。


オブジェクト指向的にモノの method に応じた配置をする

ちょっと前ならCDを聴くためのコンポなどがあって、CDはそのそばにあればよかったけど、CDをリッピングする、という method が増えると、今度はPCのそばにCDを置かないといけない。
テレビ、ビデオ、HDDレコーダ、ゲームのコントローラなど、TV画面に関わる操作内容も年々増えてて、増えるたびに困る。


どうもうまくいかなそうだ。

それはそうと、部屋が綺麗で几帳面な人でも、デスクトップは異常に汚い場合がある。これは面白い。根本的に物理整理と論理性能は違う才能なのかもしれない。
misc | - | -

強い相対主義

掲示板で変に冷めてて上から見たような一言をもらった時用コピペ。


人それぞれだと思います。

うわー、理解できん!

この言葉の意味はなんだ? 矛盾してるよね? どんな結論をも導けますよね?
自分の意見を他者に公表する手段であるところの掲示板で、意見表明という行為を否定するこの投稿の意図は?
コミュニケーションの無意味性を信じて全世界の掲示板およびメーリングリストの根絶をはかる情報テロリストですか?
断絶され孤立した自己が互いにつながることなく一つ一つの殻の中で完結し他者にその中身をさらすことのない静的な世界を目指していますか?
あらゆる主義主張は相対化され存在しうるすべての意見が同等の価値をもつゆえにタイプライターを打つ千万匹の猿の千万行の言葉すべてが同等でありいかなる言明もホワイトノイズの彼方に埋没して語ることに意味の失われた強い相対主義ですか?
人様に聞いてもらうほどの考えはないけれど投稿はできるよという、外部メッセージのみを有する情報ですか?
私はその問題について語るべき意見をもたないがそれでもなおかつここに存在しているという自己存在の外世界に対する表明ですか?

まあ、わかってんだけどね。ふ。つまり私はあなたの意見に納得できません、ということでござろう? あなたの議論はどうも面白くありませんな、ということであらせられよう?



作ってみろ。

 なんですかそれは!
 意見の数だけ作品が必要ですか? 作品とそれを語る言葉が同列にされますか? 作品とそれを語る言葉は同じ形式をもたなければなりませんか? 全ての評論は地に落ちますか? 読書感想文はありえず、創作のみが存在できますか? ニフティの会議室はすべて一定水準以上の作品の制作に関わった人間だけが審議のうえ参加する権利を与えられるパティオとなり会員数は4桁落ちますか? 作品Aを語る資格を得るためにつくった作品Bを語る資格を得るためにつくった作品Cを語る資格を得るためにつくった……作品n(n→無限)によって無数の作品を生み出しその分野をすたれることのない永久作品産出機関と化しますか?
 ま、わかってるんですよ。ええ。そんなに語るエネルギーがあったら、それを作るエネルギーにまわして、作品を一つ作ってくれた方が面白いかもしれない。とおっしゃりたい。それは、同意します。特に感情に任せた悪口ってのは今一つ毒になって薬にならない傾向がありますから、それなら感情を作るエネルギーに変換してアンチテーゼ的作品を見せてもらった方が盛り上がる。
 でもやっぱり、そうならそうと具体的に指摘してもらわないと。
misc | - | -

あーもう

CSSをいじりたいのだが集中力が続かない。字の色ももうちょっと読みやすいのを選択したい。

てか fixed width なサイトは忌むべきものとしているのにこのサイトがそうじゃないか。まったく。
misc | - | -