目的と手段の転換はイクナイ! とはよく言われることで、確かに過程に満足して結果がどうでもよくなることは生産的じゃないよね、と思います。例えば「甲子園優勝」が目的だったはずのチームが、いつしか「バッティングマシーンを買うために部員全員でバイト」に、しまいには「部員による高給バイトの斡旋組織ができた!」になっては保護者の皆様もハラハラするのでやっぱいかんわけです。
が、自分を鑑みるに、本当は「楽するためにコンピュータで何かする」はずで毎日操作しているはずなのに、最近は「コンピュータをできるだけ楽に使う」、これだけを目的にしているフシがございます。あー、もちろん、コンピュータ通じて仕事するのは確かなんですけど、仕事以外でコンピュータを触る際、何か目的がある訳じゃなくてどうすれば楽にコンピュータを使えるかを考えながら触っている感じです。「ドライバ入れるのめんどくせーなー」「クリックめんどくせーなー」「TAB で思ったところにマウスカーソル行かないなー」「ヘルプとか alert の窓を閉じるのめんどくせーなー」など、めんどくささに文句言ってるだけとも言いますが。
こうなると自然と、「プラグアンドプレイで全部動けばいいのに」から始まって、「FORM に文字入れたくない」「エディタをマクロで操作したい」「マウス触りたくない」などと展開しており、今後は「寝ながらキーボード叩きたい」「アプリ立ち上げたくない」「ディスプレイ覗き込みたくない」「キーボード叩きたくない」「文章もロジックも考えたくない」「むしろ字が読みたくない」とエスカレートしていく予定ですが、途中からは実現手段もないのである程度まで踏みとどまっております。
こんなふーに楽になっていくのはコンピュータ操作の醍醐味を失いますよ! と思いもするのだけど、例えば、「ブラウザで取り寄せたファイル、いちいち拡張子が違うからって異なるアプリで処理するように設定するの面倒!」って要求には、Netscape で言うところのプラグインが答えたわけだし、IPアドレスやネットマスクの設定したくないって要求には、DHCP が答えたわけだしで、楽してコンピューティングを楽しむというアプローチで世の中よくなるという原則は存在してるんじゃないかと(極端だけど)。
言い換えれば、どうすればユーザーの思い思いの目的達成がショートカットできるようにコンピュータがあるべきか、というテーマはずーっと残るし、並行して「どうすればやりたいことをコンピュータでラクして解決できるか」というのもずーっとテーマにされていくだろう。
マン - マシンコミュニケーションを考えることは、最終的にはマン - マシン - ネットワーク - マシン - マンコミュニケーション、すなわち普通のヒューマンコミュニケーションを考えることにもなろうかと思う。(が、往々にして目的が共通でない人間同士は方針が違うのでコミュニケーション困難ですね。「コンピュータを楽に触りたがっている」俺に、「コンピュータで楽をする」ことを要求されると、まったくとんちんかんなことになりがちなので注意。あとマン - マシンに最適化されてしまった御仁はやっぱりヒューマン相手はしどろもどろ)
あーっとね、言いたかったのはこういうことじゃなくて、今や目的に転換されている「いかに楽に使うか」にも意味があることと、本件に限らず、手段と目的が一旦は逆転しないと、その手段を用いるスキルは身に付かないと思うんだよね。目的を忘れるほど興味を持った手段なのだもんね。
なので、手段と目的が逆転している人を指してコラーとするより、そっちの道を選んだか…と、見守りましょう。なーんて正当化したい、っつうことでした。