どうぶつとお約束祭


しばらく「どうぶつを見る」という行為の意味と効果を忘れていたのですが、何となく「どうぶつが必要なんじゃないか…?」という合意により、連休中のある日にズーラシア、翌日に上野というハードなどうぶつコースを行脚ってみました。(欲を言えば多摩動物公園も入れておきたかったところ)

つっても、学術的興味が沸いたから! とか、新しいどうぶつに興味があって! とかではないので、行ってみて感じたことから、見ることでどんな効果があったかを辿ってみたいと思います。アニマルセラピー(アニマルヒーリングなんて直接的な言葉にも置き換えられる)なんてのも体系化されてるし、今更「どうぶつがのたーっとしているのを眺めると、のたーっとしたかのようなカタルシスが得られる」ことに疑いはないのだけど、なんかもうちょっとありそうな気がするんだよなー。

で考えた結果、動物園にいそうなどうぶつ、代表的なところでゾウキリンライオンシマウマパンダコアラ…それぞれ、社会的に統一感のあるキャラ付けがなされてますよね。幼児向けに制作された数々の物語においては、例えば、ゾウは「大柄だけど総身に知恵が回ってない感じ」、キリンは「ちょっと聡明なご意見番」、なんてな風に。

で、どうぶつ園に行くという行為は、それらキャラ付けが間違ってないことを間近で実感することに意味があると思うのです。すなわち、「お約束確認行為」です。もちろん、のたーっとしてるだろうなあ、と思いながら行って、実際のたーっとしているところを確認するのも、「お約束確認行為」に入るでしょう。

お約束といっても、よくできたお約束は大衆芸として完成された娯楽なので、たぶん、「動物と子役に適う役者はいない」とかのことわざも、「素でお約束が出せる」演者には、なかなか勝てないってことだと思うんですわ。

翻って、娯楽として完成している娘。のライブだとか、レスリング団体の興行などは、そのお約束行為+何かハプニングを期待して行くのだということを再認識し、娘。、プロレス、動物園という、一見全然関係ない娯楽の奥でこの妄想が繋がっているんだと認識した上で、またしばらくしたらどうぶつを見に行きたいもんだなあと思った次第です。


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