HIP HOP ROYAL 2000 ということで、プロフェッショナルエンターテイナー ユウザロック☆の掛け声のもと、日比谷に集まった crew が総勢何名? ってくらいとにかく集まったイベントに行ってきました。
日比谷での HIPHOP イベントと言えば(伝説の?)さんぴんキャンプなんですが、俺に buddha brand の存在をギャギャーンと意識させたあのさんぴんから4年、果たしてキッズたち、否、B-BOY たちの HIOHOP 熱は、ここんとこの特攻隊長 Dragon Ash(トッコタイチョ ドラゴナッショ)旋風以降、どんなベクトルを向いているのか? という興味がスゴくあり、血眼でチケットを取ったわけです。
雨に打たれながらも、Rhymester、SDP、K.O.D.P、RINO、TWIGY などの登場に狂喜乱舞しつつ、約5時間のイベントを終了して得た感想は、「…4年前と何も変わってない」。いや、なんか、本当に残念なんですけど。(4年前は俺はビデオでしか見てないけど)
米国の ghetto から出た文化が HIPHOP だ、ってことは自明としても、すでにスチャダラが世に出た時点で HIOHOP をおもちゃにしてもよい、というくらい「こなれた」文化として輸入されてたはずなんだけど、本来の(悲しいかな)普遍的な側面である、HIPHOP の style というかアティテュードが「サヴァイヴ」のための「バトル」、という点をことさら強調し、サバイヴのためのリリックを捻りもなく綴り、MCバトルに臨んでいるだけの MC のあまりの多さよ。
それがあなた方のリアルなのかもしれないが、HIPHOP に壁を設けてしまうだけなのだと思いませんか? すなわち、そんなに「ghettoはリアルに存在するぜ」みたいに、これまでことさら ghetto と意識されなかった状況を、おそらく本当の ghetto になりえている環境なんて日本全国じゃちっとも日常ではないのに、ghetto たらしめたいのか? と疑問を持ってしまうのです。
だって、4年経ったのにマーケット広がっていると思えないし、思ったよりリスナー(B-BOY でもいいや)が育ってないし(ユウザロックがマイク向けて「言いたいことあるか?」に対し、ピースしながら「イエー!」じゃねえよ泥酔厨房め。でもカメラの前でフリースタイルやったうちの一名は上手かったな)。こんなんじゃいつまでたっても「ちょっと気取った不良が短絡的に体験するお洒落の一部」としての HIPHOP しか消費されません。だから妄走族みたいなのをステージに上げるハメになるわけです。
ただ、出演料が出ないチャリティー性の高いライブをやるのはいいとして、それに敢えて出ようと思わなかった buddha と ECD (ECDは別の理由があるからかもしんないけど)には継続して注目すべき(shakka もでなかったけど、心情的な理由があるやなしや?)。
buddha は FUJIROCK、shakka は AIRJAM に出た訳だしな。これは、もう顔見せイベントに出てまで、HIPHOP の認知度高めま show、ということにはモチベーションを感じないんじゃないかと思うんだ。。
B-BOY の B を定義してみな! ということで、何もヂブラの言うところの日常だけが HIPHOP じゃないんだよね。