e、ill より e


今や大学で石を投げればベンチャー起業家に当たり、路上で石を投げれば SE にあたり、秋葉原で石を投げればテクニカルライターに当たるよーな、「e」を中心に回る世の中になってしまった訳ですが、沖田浩クンが「e 気持ち」を20年前に歌っていたことも原因だと思います。←いいえ、これは妄想です。

んで、今回は、仮にも「e」に関ってなくもない俺が言うのもなんですが、e な世界の限界ってのを見極めていくのは楽しい作業だと思うのでちょっと考えることにします。

まず、e の話でよく聞くのが、「考えもしなかったビジネススキーム!」とか「e ビジネスで収入激増!」って話なんですけど、逆にとらえると「e ビジネスで支出激増!」転じて「e 貧乏!」だって招き易いってことなんですよね。これはサービス利用者が法人の場合も個人の場合も差はないと思います。(個人の場合は EC 利用とか、e トレードとかがメインでしょう)

で、「e 貧乏!」に陥らないためには、「e 富豪!」になればいいんですけど、「e 富豪!」になるほど賢い人とか法人って、やっぱ絶対数として増えないと思うんですよ。いや、絶対数どころか、これまで以上に生まれにくくなる、と思います。「e 富豪!」のために必要な賢さは、これまでの賢さとは質が異なってくるってのが主な理由です。

なんでかって言うと、「e」によってこれまでの10倍のスループットでサービスを享受できたとしますね。でも、「e 富豪!」のためには、そんなに利鞘(e ガッポリ)のない e サービスをガンガン利用する必要があるのに、仮にそのために一日 100 ほどの e サービスを利用することにすると、100 のクリックだけでなくて、やっぱり 100 の決断が迫られるでしょうし、100 の結果も管理する必要があるんですよね。

よく言われるのが、これまでのビジネスが「e」によってどう変革するかというと、無駄にあった参入障壁がとっぱらわれると同時に、情報のデジタル化によって伝達遅延がなくなって、全てがスピード重視に変わってきて、乗り遅れないと負けるゾ、ってことになるんですけど、んじゃあ今まで 10 回しかできなかった決断が、いきなり 100 回できるような体質に、個人も、法人も、なりにくいと思うんですよ。

で、世の中の人々が何をもってして「楽」かというと、やっぱ「仕事がルーチンワークになって」「余計なことを考えずにやるべきことをちょびっと工夫しながらやっていると」「何かが進んでいて収入になってる」ことだと思うので、無理矢理(消費も投資も含めたような)100 の決断をしてまで、e サービスをガンガン使い込もう、って思わなそうじゃないですか? さらに、いくら決断大好き決断マニアでも、一日 100 のサービスに対応しまくってるってのはあまり歓迎したくないことなんじゃないかと。だから 100 のサービスを享受するためのスピードを得ている人(法人)は、やり方ウンヌンじゃなくて、100 の決断をできるだけの知識と余裕と覚悟があるってことになります。

ので、e サービスが世の中に出まくった終着に迎えるストーリーは、「そんなに e はいらなかったヨ」ってことになるのかもしれません。もちろん、質のいい、単にインタフェースを web にしただけじゃないサービスが生まれて、あるジャンルにおけるサービスの絶対数も淘汰されていくことによって、もっと違う可能性が生まれることを期待したくはあります。

これだけじゃ何なので、んじゃ「e」の次って何かあるのかしら? というのも何となく考えているテーマなんですが、「迅速な意志決定のためのツール」が今の「e」の姿だとすると、もう一歩進んで、「迅速に意志決定をするツール」そのものに変わっていくこと、なんかどうだろね、なんて漠然と思ってます。

今回はオモロい内容ではないんで、書くのは気楽でした。おわり。


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