PICA-MEQUE

Monday, May 30th

劇場版ゼータ


ふー、歌舞伎町に75分並んだら映画を見れたぞー。

エイジングがなんたらで違和感ない映像に! という点への拍手は難しい。だってバレバレだもん。それでも見所は満載だが、それがゼータ初体験の人のハートを射抜くかどうかはわからない。ゼータに思い入れのある人(ゼータで踊ったことのある人)向けの「ゼータリミクス」を見た感じだ。よくあるゲームの評価で言うと「前作のファンなら買い」に分類されるだろう。

しかしだ。20年前、11歳だった俺がリアルタイム(正確には田舎なので2ヶ月遅れ)にゼータを見ながら、最もTOKIMEKIまくってた点は、ゼータのデザインがなぞだったことなのだ。シリーズ前半のオープニング、ズンダンズズダンのドラムの奥で、何やら丸いフォルムの顔が現れるのだけど、あれがゼータなの? 違うの? いつから出るの? という件については、番組の中盤で明らかになるからね、としか公開されなかった。ニュータイプも毎号煽りを入れてた。ゼータガンダムというのが出てくるらしいが、それがどんだけ強くてどんだけ圧倒的なのかずっと気にすることができた。あれは独特で有効なヒキのテクだったと思う。(ホントのところはデザインが間に合ってないとかの大人の事情かもしれないけど)

今回、第二部、第三部がどんな話にいじられるのかはまだ公開されてない。このヒキのテクはやはり有効なのだけど、それも「ゼータの話を知ってる人」でないとワクワクできない。というか理解できないだろう。いっそゼータもThe・Oも新解釈で別の火気を積んだ別デザイン、くらいやってもらえると、それだけで非常にドキドキできるのだけど(あんまりメカと戦闘に傾くと東映まんが祭になっちゃうけどね)。

ガンダム世界で言うところのスターウォーズエピソード I・II・III は小説等でもう終わってるとは思うし、同じことを期待してもしょうがないのだけど、差分をディグるのが大好きな人らだけにいじられる劇場作品、にならないといいなと思う。

しかし新規で作画されたとこはとてもスムーズだった。あれもっかい見に行こう。

05.30.05 @ 02:47 PM JST [link]


Wednesday, May 25th

蟻とパレート


働き蟻の様子を観察していた北大のチームが、「2割(A)の蟻だけ本当に働いてて、あとの6割(B)は普通に働き、あとの2割(C)はどうやら遊んでいる」「Cのグループを引き離すと、AからBに転じる個体があって生産性は下がった」てな発表(この話はググった結果ごとにどうも詳細が違う)をしたかと思えば、大阪府立大では「エサ集めの下手なアリが集団内にいた方が、優秀なアリだけよりもたくさんエサが集まった」てな発表をしたりしたそうな。

この話の示唆はいろいろあるようだけど、「だから働かない蟻が存在するのは必要悪。俺は働かない係でいいんだもん」と、全ての場合に汎化して考えたりするのは短絡的だが、蟻社会と同等の組織ならば同傾向があるのでは? と考えることもできる。自分の属する組織(カイシャでも、遊び仲間でも、サークルでも家族でも、自分以外の誰かがいればなんでもいい)が、蟻組織と同等な状態にあるかどうか判別することができるかもしれない。ちなみに蟻社会は「とにかく増えて巣をデカくして繁栄する」というかなりわかりやすい共通目的の下に存在するが、その構造は結構複雑、とされている。人間活動も詰まるところ増えて繁栄していることには変わりないと言えば変わりないが、増えたり繁栄したりすることが第一義でないとする、オルタナ(笑)な集団は実在する。

これを「Cに該当する2割の活動」とするのもまた短絡的で、モノゴトをつまらなくしそうな発想でイヤなのだが、事実、独創性やオルタナティブな発想は、その組織の構造が不安定な状態からしか生じないし、長期的にはその組織自体に作用するということを考えると、やっぱり当てはまってしまうのかなあと、ちょっと諦め加減で思ったりもする。とりあえず凡人としては、そのパワーと効果に対しては常に敬意を表したい。

参考:パレートの法則

05.25.05 @ 04:01 PM JST [link]


Wednesday, May 18th

何でもモビルスーツに例える病


ギターについていろいろ知っていく中で、どうしても「何でもモビルスーツに例える病」が出て止まらなくなった。自分くらいの年齢層に生じがちな比喩遊びだ。

とにかくFenderが連邦でGibsonがジオンとして昼間っから勝手に妄想すると、

テレキャスター=ガンダム
テレシンライン=ALEX
テレカスタム=陸戦型ガンダム or フルアーマーガンダム
ストラトキャスター=ガンダムMk.II
ムスタング=ガンキャノン
ジャズマスター=Zガンダム
ショーマスターとか=GP01-03
Squierのもの=GMかボール
(ガンタンクの位置づけが難しい)

レスポール=ザクII
SG=グフ
フライングV=高機動型ザク(ドムなような気もする)
エクスプローラー=サイコミュ試験用ザク
ファイアバード=ゲルググ
(ES335とかの位置づけが難しい)

Washburnとかメタルのヤツ=ネオ・ジオンもの
ダンエレクトロ(圧縮素材)=ZZに出てきたゲゼとか

ちなみに同様の病の人はけっこういる

ちなみにギターもモビルスーツも、カラーバリエが豊富だったり、○○専用モデルが存在するという点では一緒です。

05.18.05 @ 03:05 PM JST [link]


Wednesday, May 11th

約数と親和性


年齢がTeXとかBASICの書き方で2^5となった。なりました。Math.pow(2, 5)でもいいけど。

ここで、「年齢が約分できる時は、似た約数を持つ他の年齢と親和性が高い」、という、社会性も何も無視した仮説について考えてみる。素数が最も孤立してて独自性が高いのに対し、約数が多いほど、同じ約数を持つ年齢層に対して懐が深い、という乱暴で勝手な仮説。例えば、27歳なら27=(3^3)なので、18=(2×3^2)の気持ちも半分はわかるんじゃないか、というものだ。

中2と言えば14=(7×2)だが、中2性について話題にしてるのは、14以降の7の倍数、21と28(2^2×7)と35(5×7)とだけ、などと勝手に考えてみると面白い。

そう考えるとここ数年は激動だった。29は素数、30=2×3×5、31=素数、で、32で2^5です。閉じこもったり開いたり大変。今年は2歳の気持ちも4歳の気持ちも8歳の気持ちも、16歳の気持ちもよくわかるし、6歳の気持ちも12歳の気持ちも24歳の気持ちも半分はわかるかもしれない。

ここで向こう10年を予想してみる。

32=2^5
33=11×3
34=17×2
35=5×7
36=2^2×3
37=素数
38=19×2
39=13×3
40=2^2×5

33~35は理解範囲の狭い状態、36で開眼、37~39で再度視野が狭くなり、40で開眼か。忙しい。

05.11.05 @ 03:08 PM JST [link]


Friday, May 6th

Spotlightに示唆されて


OSX Tigerを触って数日になる。起動や動作が高速化したネ、というのが率直な感想だけど、ちょっと、アタマの中のパラダイムをいじらないといけない新機能、Spotlight のことを考えるといろいろ面白い。物理的には、「任意の検索条件を登録しておける機能」なんだけど、自分なりに簡単に言うと、文脈だけ与えておけば、常に検索結果一覧をフォルダ一覧のように提供してくれる機能だ。しかも検索条件はアクセスしやすいように配置しておける。

「そんなん、あんまりDesktop Googleと変わんない」と最初は思ってたのだけど、Spotlightにできて、Desktop googleにできないことがある。例えば、「去年作ったアレ」程度の文脈さえ与えれば、絵なり文書なり音楽なり、何かを示してくれるのだ。


Spotlightの検索エンジンはそれ以上です。お使いのMacに保存されているあらゆる情報に関して、いつ誰がその内容を作成したのかなど、内容の種類、作成者、編集履歴、ファイル形式、サイズといったメタデータを索引化します。


しばらく触ってるうちに、何かこう、ヒトとファイルとコンピュータの関係がグネ~っと新しくなりつつある感覚を覚えた。

古来、コンピュータにとっての「意味のある管理対象」は、わかりやすいところで「書類」と呼ばれたり、もっと一般に「ファイル」と呼ばれている。このファイルはフォルダ(なりディレクトリ)で階層化できるようになってて、ユーザーは好きなツリーで好きにフォルダを掘っていくことができる。それ故に、いかに自分とコンピュータに最適なようにフォルダ分けができるか、が、コンピュータを上手に使うテクであるかのように思われがちだ。例えば、フォルダ整理の癖がなくて、デスクトップに128個のアイコンが並んだ人を、整理上手とは言わないように。

ただ、このファイルとフォルダは、システムに近いレベルの設定でも、ユーザーが作った「書類」でも、同様にファイルであるため、ユーザーにとっての意味のある管理対象であるか否かの視点では、かえって混乱を招きやすい。例えば、/etc/hosts も、/home/user/Desktop/名簿.xls も、OSにとってはファイルと一緒だ。だからこそ、ユーザー自身がファイルを「管理」しないといけない。わかりやすく重要文書をどこかにまとめたり、システムに近いファイルと、個人用のファイルはできるだけ遠くて類推しやすいPATHにしたり…

でも、世の中、何かを管理するためには高度なスキルが要るし、コストも高い。となると、元来、計算機能力はユーザーに利便性を与える、という原則からは離れてて、ユーザーが意識的にファイルを管理しなきゃいけない、というのは本末転倒だ。計算能力は困難である管理のためにこそ割かれるべきで、自分でフォルダを最適化しないといけない時代はそろそろ終わっていい。

誰もGoogleの検索結果をsnapshotとして保存しないし、必要なときにオンデマンドで検索するはずだ。それと似た感覚で、あとで管理しやすくするようにユーザー自身が工夫するのではなく、検索技術を持ってユーザーをファイルに導こう、というのがSpotlightのアプローチなのだろう。もちろんLonghornのWinFSも同様の思想で作られている(ような気がする)。

とはいえ、全ての設定は可読性のある個別のファイルに示しましょう、てなUNIXの思想はいいと思うし、OSXがUNIXベースであるがゆえの強固さを否定する訳じゃない。でも、極端に言えば、OSのための設定云々は専用のファイルシステムで管理されることにして、ユーザーからは巨大な一個のファイルに見える(OS9みたいに)/通常の利用環境からは見えない/触れないくらいでいいんじゃないだろうか。

参考:ちょっと勇気づけられる宣言

05.06.05 @ 06:18 PM JST [link]


Monday, May 2nd

高々○○で


その昔オフコンでCOBOLでJCLだったコンピュータシステムってヤツは、通信技術研究などのために互換性ありきで進化した、高々汎用研究用OSだったUNIXによって駆逐された時期があった。でも、そんな商用UNIXや商用RDBMSも高々PC互換機で動く、高々フリーソフトのLinuxとDBによって(ある分野では)駆逐された。俺がコンピュータ産業が大好きな理由は、こういう駆逐劇が高頻度に見られるところだ。そのうちLinuxをひっくり返す、今でこそ高々○○な何かが登場するに違いないけど、その前に高いと思われる商用ソフトウェア、例えばオーサリング系の利権がどうにかなって欲しいと願う人は多そうだ。(でもプロでやってるほとんどの人は別に望んでないだろうけど)

カウンターとしてのコンピュータ技術とでもいえばいいか。既得権益をいとも簡単にぶっ潰せる技術はいつだって爽快だ。だからボランタリーに動く人も集まる。

もうちょっと拡げると、ファイル共有ソフトが爆発的に流行する直前、napsterに感じた、著作物配信のための間接的な利権をぶっ潰す可能性は、iTMSなどである程度実現している。これだって、高々通信技術なはずのTCP/IPが音楽産業の形を変えたのだから面白い。映像も、まあ、ある程度は打撃を受けてる気がする。高々映像符号化技術と圧縮技術を用いた、TVのHDD録画物をせっせとエンコしてクリッピングする行為だって、ある種の映像に関わる利権を脅かしている。もし雑誌が今の5倍の価格なら、写真とテキストは今よりもっと不正に流通されるだろう。写メでデジタル万引きをするのがもっとあたりまえになる、とか。

あー、話がずれた。要するにカウンターな思想にはコンピュータ技術が結構役に立ちますよ、ということだ。

(余談。このテーマにおけるWindowsとMicrosoftの居場所についてはなかなか考えがまとまらない。PC互換機を普及させ、価格的にも技術的にも推進したパワーなのは確かなので、必ずしも悪ではない。道路公団ぽいけど。)

05.02.05 @ 09:32 AM JST [link]




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