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05/06/2005: "Spotlightに示唆されて"
OSX Tigerを触って数日になる。起動や動作が高速化したネ、というのが率直な感想だけど、ちょっと、アタマの中のパラダイムをいじらないといけない新機能、Spotlight のことを考えるといろいろ面白い。物理的には、「任意の検索条件を登録しておける機能」なんだけど、自分なりに簡単に言うと、文脈だけ与えておけば、常に検索結果一覧をフォルダ一覧のように提供してくれる機能だ。しかも検索条件はアクセスしやすいように配置しておける。
「そんなん、あんまりDesktop Googleと変わんない」と最初は思ってたのだけど、Spotlightにできて、Desktop googleにできないことがある。例えば、「去年作ったアレ」程度の文脈さえ与えれば、絵なり文書なり音楽なり、何かを示してくれるのだ。
Spotlightの検索エンジンはそれ以上です。お使いのMacに保存されているあらゆる情報に関して、いつ誰がその内容を作成したのかなど、内容の種類、作成者、編集履歴、ファイル形式、サイズといったメタデータを索引化します。
しばらく触ってるうちに、何かこう、ヒトとファイルとコンピュータの関係がグネ~っと新しくなりつつある感覚を覚えた。
古来、コンピュータにとっての「意味のある管理対象」は、わかりやすいところで「書類」と呼ばれたり、もっと一般に「ファイル」と呼ばれている。このファイルはフォルダ(なりディレクトリ)で階層化できるようになってて、ユーザーは好きなツリーで好きにフォルダを掘っていくことができる。それ故に、いかに自分とコンピュータに最適なようにフォルダ分けができるか、が、コンピュータを上手に使うテクであるかのように思われがちだ。例えば、フォルダ整理の癖がなくて、デスクトップに128個のアイコンが並んだ人を、整理上手とは言わないように。
ただ、このファイルとフォルダは、システムに近いレベルの設定でも、ユーザーが作った「書類」でも、同様にファイルであるため、ユーザーにとっての意味のある管理対象であるか否かの視点では、かえって混乱を招きやすい。例えば、/etc/hosts も、/home/user/Desktop/名簿.xls も、OSにとってはファイルと一緒だ。だからこそ、ユーザー自身がファイルを「管理」しないといけない。わかりやすく重要文書をどこかにまとめたり、システムに近いファイルと、個人用のファイルはできるだけ遠くて類推しやすいPATHにしたり…
でも、世の中、何かを管理するためには高度なスキルが要るし、コストも高い。となると、元来、計算機能力はユーザーに利便性を与える、という原則からは離れてて、ユーザーが意識的にファイルを管理しなきゃいけない、というのは本末転倒だ。計算能力は困難である管理のためにこそ割かれるべきで、自分でフォルダを最適化しないといけない時代はそろそろ終わっていい。
誰もGoogleの検索結果をsnapshotとして保存しないし、必要なときにオンデマンドで検索するはずだ。それと似た感覚で、あとで管理しやすくするようにユーザー自身が工夫するのではなく、検索技術を持ってユーザーをファイルに導こう、というのがSpotlightのアプローチなのだろう。もちろんLonghornのWinFSも同様の思想で作られている(ような気がする)。
とはいえ、全ての設定は可読性のある個別のファイルに示しましょう、てなUNIXの思想はいいと思うし、OSXがUNIXベースであるがゆえの強固さを否定する訳じゃない。でも、極端に言えば、OSのための設定云々は専用のファイルシステムで管理されることにして、ユーザーからは巨大な一個のファイルに見える(OS9みたいに)/通常の利用環境からは見えない/触れないくらいでいいんじゃないだろうか。
参考:ちょっと勇気づけられる宣言。