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06/13/2004: "「大人たちを、困らせたいんだ」"


スクール・オブ・ロック、観てきまして。

ここんとこのあたくしは、spectator の REBEL MUSIC 特集を読んで、そして「ついてけねー」感を高まらせたせいもあってか、パーティオン! パーティオン! ロケンロー! ハッパ開放! なシンプルな初期衝動はもちろん否定しないけど、そればっか見せられても現実的には困る、どうしたいかわからん。てな良識あるつまんねえオトナめいた目線(=ファッションパンク)になっていて、正直、この映画をどう楽しめるか自分でも謎でした。SGがカッコいい映画、という期待は充分にありましたが。(デビルシェイプなSGはやっぱかっこいいねえ)

で、以下ネタバレ含んでの感想。

結果的にはジャックブラックの脳天気だけど隙のない演技と、ホロっと来る展開に大満足だったですよ。もしロックがやっぱり万能で、デューイも大金持ちでウハウハ、だったら、ただの超能力学園Zだし、うそくさい。でもこの映画はそうしなかった。デューイはやっぱり社会的には落伍してるけど、でも、少しだけ周囲の人間に新しいパーティを与えた。ロックにできること、のポジティブな解としてはベストではないだろうか。

もうひとつ。「大人たちを、困らせたいんだ」とアイデン&ティティで中島(ミネタ)は言ったけど、この映画でもジャック・ブラックは「大物を困らせよう」と言い、ロックが反抗のための表現であるとの一致を見せてました。では、俺の疑問であるとこの、(反抗して、お前が嫌いだー、と感情を剥き出しにして、で、どうすんの?)についてはどうだったろう。

アイデン&ティティは「好きなコができたから反抗とかもういいや」と、さらに上位の解決に転じることで、中島の個人的な鬱屈は過去の問題にしてしまった。これに対して、スクールオブロックはロックのパワーを肯定し続け、良識ある大人たちをロックショーで酔わせた。ちゃんとロックを娯楽に転じ、ロックを媒体にして、ステレオタイプの打破を成功させたんだよね。

あと、前のバンドでも自分だけは本物のロックであると信じてたデューイは、メンバーの意見を無視して20分のギターソロをやったりしてた。んで、小学生相手にも己のエゴ丸出しにしてバンド練習を始めるけど、小学生のリアルな才能に触れるにつれ、「俺には才能がない。でもお前たちにはある。だからお前たちの曲を演じるべきだ」と、他者の才能を素直に肯定する。この辺の心理の変化はもう一度観て考えてみたい。

これは本筋とは関係ないけど、今回もクラスメートの理系野郎が数々のソリューションを持って後方支援に貢献していた。俺は理系が後方支援を淡々とコンプリートさせる様をちゃんと描いた話は好きだ。

やっぱもう一回観よう。

追記:日本の俳優でデューイができるのは誰だろう? と考えてみた。掟ポルシェ。ではどうか。(ただしバンド練習ではなく、説教と闘魂注入タイム)

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