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06/11/2004: "陰謀史観はもういらない"
文字通りのフリーメイソンが…とかの、オカルト信仰ではなく、もっと日常に近いレベルで陰謀史観を振り回す人がよくいる。
例えば素性のよくわからない近隣国のふるまいを全て「ウラでナントカなんだろ?」としたり、素性のよくわからない企業のふるまいを全て「ウラでナントカなんだろ?」(ナントカ=その人の規範では悪事)と、全ての謎は陰謀の結果なのだ! と、あたかも事実のように扱っていたりする。説明のできない事柄はぜーんぶ根拠のない(多くは不当で単純な)一般化をしてしまう癖をお持ちだ。で、ちょっとヒネった陰謀史観は「おお、新説!」と歓迎されることもある。この場合も不当性は変わらない。
もうね、こういうのを人から聞くのはうんざりなの。陰謀史観はハリウッド娯楽かMMRでのスパイス程度にしとこう。そしてコミュニケーションはこんな陰謀史観癖をとっぱらうために作用すべきだ。陰謀史観を伝えて「ダヨネー」と共有しあうためのコミュニケーションは参加するのは辛い。そして推論の結果陰謀史観に至った文書・意見は理解する意味がありそうだが、陰謀史観を前提に分析してるようなものには眉を顰めていきたい。
なんてのを、会社の一服部屋でお茶呑みながら急に思ったので書いておく。あと大事なのは、「陰謀は現実に存在する」けど「陰謀史観は現実を隠蔽する」ということだ。