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02/02/2004: "標準化する人"
music: the latter / SCHA DARA PARR
また仕事関連ですけど。
↓の病院システム話でも書いたけど、最近は標準化する人⇔される人。一般化する人⇔される人、マクロで語る人⇔マクロに含まれる人、生産性を定義する人⇔その上で生産する人、フレームを決める人⇔決められる人、システム決める人⇔システム使う人、モデル作る人⇔モデられる人、仕掛け人⇔仕掛けられ人、なんて関係が気になってます。白襟と青襟の関係を、よりどんな局面でも生じる、普遍性のある関係にした感じかしら。
で、労働においての標準化や一般化という行為自体の是非は俺もよくわかんないのですが、ちと考えるのはこの行為を「する側」の人の心理です。もう一般的に「仕組む人」と言っちゃいましょう。
世の中の「仕組み」の多くは、仕組む人と仕組まれる人の関係性があって成立する訳ですが、多くの場合、「仕組む側」に自覚のある人は少なくて、むしろ美麗句で隠蔽されているケースも多い。この、自覚のない人が仕組む側の仕事をしてると、はて、自分が誰の視線で仕事をするのか定まってなくて、効果的に仕事できなかったりします。
で、一方、この「仕組む側」の人に「してやったり感」と「仕組んであげてる感」の傲慢感が出まくっている場合は、大抵仕組まれる側の反感を生みがちで破綻しちゃうように思います。てか俺が嫌いです。
自分のやってる仕事もあるレベルにおいては何かを標準化する、だとか、仕掛ける、てな行為をサポートする側にあることは確かなのですが、たまにどっち向いて誰のために仕事してるかわかんなくなることもあります。開き直って仕組む側に回ってしまって、何のこっちゃなアウトプット出したりしたこともありますし。そして対象を重視するあまり結局「サポートする」というミッションに応えられなかったりもします。
んで何度か経験して得た感じとしては、やっぱりここは常に「仕組まれる人」をハッピーにするんだ、という信念と謙虚な姿勢、がベースになるんでしょうなあ。その上で、個別の最適じゃなくて全体の最適のために「仕組み」を作ってるんだよ、という意識。これを加えていくと、やるべきことが整理されるような気がする。
逆に言えば、誰かのために仕組む作業だとか、どこかを不幸にする仕組みは破綻するってことなのか? と乱暴な疑問を持った次第。これはいずれわかるだろう。