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01/22/2004: "ヒトOS XP sp1"
備忘録Mk.II (SR model30)
コンピュータにとってのOSてありますよね。MacOSにしろWindowsにしろZetaにしろ、入出力の管理(キーボードとディスプレイ)、ディスク管理、メモリ管理、それらを制御するAPIの提供など、程度の違いはあれど、やってることは似通ってます。コンピュータはOSを介して情報を符号化し、各種情報を管理し、情報を制御するAPIを提供する訳です。ハードウェア的に同一なマシンでも、Windows入れるかLinux入れるかで適した用途が異なるのは、一昔前のパソコン事情やゲーム機と比較すると面白いことです。
で、こっから妄想ですけど、ヒトのOSというのも存在すると仮定しましょう。赤ん坊の持つ認知能力がBIOSだとすると、ヒトはその後の経験で、BIOSの上のOSをinstall、再install、uninstall、またはカーネル再構築、セキュリティアップデート、しまいにクラッシュ、そういう行為を行っていきます。そして、現時点でどんなOSが起動してるかで、そのヒトの入力(情報解釈)、出力(発言)、そして記憶のクセは変化しうるのです。
そんじゃ、てことで自分のOSを考えてみるのですが、情報解釈と記憶のクセ(連想のキー)が何によってなされるかと思い返せば、「少年マンガ」「コンピュータ」「ゲーム」「ガンダム」の四つにつきるのです。ほとんどの情報解釈はこれら文脈になぞらえてますし、脳内辞書の単語の優先順位もたぶんこれらが上位。発言はこの辺からの引用。そうか、俺はこの四つの文化が混在したOSが起動してんだな。
一般に、OSが同一なマシン間は、ファイル共有ができたり、アプリのバイナリ互換があったりしますが、ヒトOSが同一な相手とは、同様に効率よい情報交換、経験の共有ができるでしょう。逆に、相手方のOSは何がinstallされてるかを察すると、こちらも一時的にそれをinstallするなどして目的達成を短縮化できるかもしれません。例えば俺の臨席の後輩は、数ヶ月かけて察したところ、「DOSマシン」「車」が基本のOSです。
あ、人生の上ではハードウェアを再構築する行為もどこかであるかも。性転換はマザボの交換だな。